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きりたんぽの発祥と本場ってどんな違い?きりたんぽの誕生から全国に知られるまで

2020.01.22

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鹿角 きりたんぽ

きりたんぽの発祥と本場の違いって何だろう?

きりたんぽの発祥や、本場について、
「発祥」と「本場」の違いって何?
きりたんぽってどうやって発祥したの?
などなど、疑問がある方も多いのでは?
普段、何気なく食べているきりたんぽも、歴史を知るともっと味わい深くなる!

今回は鹿角の食の宝であるきりたんぽについて、色々調べてみましたよ!

きりたんぽはどんな風に発祥したの?

きりたんぽは、そもそもどんな風に発祥したのでしょうか?
調べてみると、いくつかの説に分かれているようですが、
基本的には、マタギ、もしくは山子(ヤマゴ)が、
山で食べていたものがルーツのようです。

マタギ

マタギはよく聞きますが、山子って何?という方もいますよね。

山子とは、山に入って炭焼きや木材の伐採をする人たちだそうです。
何日も山にこもって作業をするため、
山小屋に寝泊りをして煮炊きをしていたんだそう。

山小屋での残ったご飯は、そのままだと悪くなりやすいので、
棒に薄く巻きつけて表面を囲炉裏であぶって焼き、日持ちするようにしておきました。

その形が槍のタンポ(槍先のカバー)に似ていることから、
「たんぽ」と呼ばれるようになったようです。

鹿角の山子は、山入りが決まるとまずタンポ串を何本か削るのが、
一番最初の仕事だった!という話も。

そのたんぽに味噌を塗って食べていたのがきりたんぽの発祥です。
(さまざまな説がありますが…)

つまり、『味噌付けたんぽ』がきりたんぽのそもそもの発祥の姿なんですね!

また、マタギを発祥とする説では、
マタギは山では料理せずに数日過ごすため、
山に入る前に今よりもとても長い”たんぽ”を数本焼き、
それを背負って山に入っていったとか。
長さは2尺(60㎝)以上もあったそうで、今では信じられないくらいの長さです!

昔のきりたんぽ鍋は
醤油味でもないし比内地鶏でもなかった!

山子たちは、たんぽに味噌を付けて食べるだけではなく、
山で狩猟したヤマドリ(キジ)やウサギの肉やキノコなどを
煮込んだ鍋に入れるようになりました。

マタギたちは熊鍋にも入れていたようです。

その時に、たんぽを短く切って鍋に入れたことから
『きり』たんぽ、と呼ぶようになりました。

比内地鶏が一般的になっている今、発祥当時の肉が鶏ではなかった事には驚きです。

何の肉でもいいから”かやき(鍋物)”にたんぽを切って入れたら
『きりたんぽ』というラフな食べ物だったんですね。

そして、味付けも当時は今とは全く違っていました。

きりたんぽの発祥した当時、醤油は一般的な調味料ではなく、
一部の人だけの高級品。
南部藩時代の醤油は「下り醤油」と言って盛岡辺りまでしか来ていなかったそう。

なので、鍋物の味付けも当然、味噌や塩が基本だったそうです。

いまは醤油ベースが当たり前のきりたんぽ鍋ですが、
当時は醤油味ではなかったのです!

鶏肉でもないし醤油味でもない”きりたんぽ鍋”。
食べてみたい…。

きりたんぽの発祥地は鹿角

きりたんぽ発祥の場所はご存じのとおり、鹿角です。

鹿角市では、毎年11月11日を『きりたんぽの日』としており、
毎年その頃には、きりたんぽ発祥まつりも開催されます。
11という数字が、たんぽが囲炉裏で焼かれている様子を連想させるからだそう。

発祥地に関しては、鹿角だ!とか、比内だ!とか、様々な意見があります。
鹿角の中でも、大湯の奥の二戸側という話や、
八幡平の老沢、トロコの辺りだという話も。

他の地域に住んでいる方にとっては、
「だいたい秋田県の北鹿のその辺でしょ?」といった軽い感じなのでしょうが…(笑)
住んでいる人にとっては重大案件だったりします。

けれども、鹿角がきりたんぽの発祥と言われるのには、きちんと理由があります。
発祥の地鹿角 きりたんぽ協議会のHPから引用させていただくと、

『昭和9年10月25日、秋田県川反の料亭「濱の家」の主人が、
秋田名物きりたんぽを秋田放送局から全国へ紹介した際に、
「きりたんぽの元祖発祥の地は陸中国鹿角郡花輪町」と語りました。
このことは昭和10年1月1日付けの「鹿角時報」でも報道されました。
「濱の家」の主人はかつて花輪に存在した「一二三軒」で作り方を伝授されたことも
伝えられています。
このことから、鹿角市が「きりたんぽ発祥の地」を標榜しています。』

発祥の地鹿角 きりたんぽ協議会 より引用)

きりたんぽ協議会のサイトには、他にも鹿角を発祥とする理由の、
様々な逸話が紹介されています!
面白いのでぜひ読んでみてください。
発祥の地鹿角 きりたんぽ協議会|由来

いつから醤油ベースのきりたんぽ鍋になったのかと言うと、
鹿角に醤油が普及し始めた明治初期に、
一二三軒の主人が最初の醤油スープのきりたんぽ鍋を作ったそう。
もちろん、浅利佐助商店(福寿)の醤油です。

そこから次第に、醤油ベースのきりたんぽが一般化したようです。
味噌より醤油の方がきりたんぽにはピッタリだったんですね。

”本場”大館が現在のきりたんぽ鍋スタイルを作った

発祥の地、鹿角のお隣である、大館市は『きりたんぽの本場』と言われていますよね。
でも、いったい本場ってどんな意味なのでしょうか。

その理由は、今のきりたんぽ鍋スタイルを確立したのが大館だから。

それまでの鹿角でのきりたんぽ鍋は、どんな鍋物でも、
たんぽを入れたらきりたんぽ鍋。
とても自由な山の料理であり家庭料理でした。

鹿角の人からきりたんぽを振舞われて、
その美味しさに感動した大館の北秋クラブの方が、
大館の特産である旨味の強い比内地鶏を入れることを考案し、
それを食べた他の地域の方々にきりたんぽが広がっていったそうです。

比内地鶏ときりたんぽのベストマッチをみごとに探し当て、
全国的にヒットさせたのが大館!

家庭的な『たんぽを入れた”かやき”』が上品な『きりたんぽ鍋』に変わったのです。

鹿角でも今では比内地鶏スープを使ったきりたんぽが一般的。
ということは、鹿角はきりたんぽを逆輸入したイメージになるんですね?!

きりたんぽの発祥VS本場?!鹿角と大館の仲は?!

きりたんぽの発祥である鹿角と、本場と名乗っている大館。
名乗り方だけ聞くと、元祖と本家…みたいなバチバチした対立感がありますが、
実際の所、仲はいいのでしょうか?

住んでいる感覚としては仲は良くも悪くもありませんよ!
別に争っているわけでもありません。

藩政時代は別の藩だった、鹿角と大館。
元々の文化圏の違いから交流が薄いのかなあ、と個人的には思います。

大館のきりたんぽまつりには鹿角のお店も多数出店していますよ。

今後、鹿角市と大館市で共催してきりたんぽのイベントをしたら面白いですね。

発祥鹿角のきりたんぽと
本場大館のきりたんぽの違いとは?!

鹿角で食べるきりたんぽと大館で食べるきりたんぽは、味はちがうのでしょうか。

製造している会社やお店によって、変わってきますが、
感覚としては、鹿角のきりたんぽはしっかり焼き固めて、
しっかりした歯ごたえと、おこげ感のある食感。
色は茶色のイメージがあります。

それに対して、大館のものは柔らかく握って、軽くあぶった感じが。
色も白くて上品。

ぐつぐつしっかり煮込んで食べる家庭料理の鹿角と、
映える見た目を楽しみつつ上品に食べる料亭由来の大館。

そんな違いを感じます。

そもそものきりたんぽ鍋の発祥は、山鳥だったり、うさぎや熊などのかやき鍋に、
たんぽを切って入れたのが始まり。

発祥の地である鹿角は、もっと自由にきりたんぽを楽しんだらいい!

でも、絶対に譲れないこだわりは、醤油は福寿。

これはきりたんぽの味の決め手。
他のお醤油も美味しいのがたくさんあるんですが、
福寿の醤油で作った味の「やっぱコレだよー!」という感覚があるんですよね。

鹿角の方なら分かるはず。

お隣の本場、大館ではどこのお醤油を使っているんでしょうか?
気になるところです…!!

きりたんぽ鍋は愛すべき郷土の味!

きりたんぽの発祥と本場について、ここまで読んでくれたみなさんは、
かなり詳しくなったんじゃないでしょうか?

今度きりたんぽ鍋を食べる時には、
発祥や本場について周りの人たちに語ってみてくださいね!
色んな説があるので、お年寄りに聞いてみると新たな説が聞けるかも?!

そしてこれからもきりたんぽを郷土の愛すべき味として受け継いでいきましょう~!

【この記事を書いたライター】

スコップ編集部

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鹿角の魅力的な情報を掘り起こしていきます!